こんにちは、ひろすけです。
私が中小企業で管理職をしていることはブログタイトルにしてはいましたが、
きちんと伝えていませんでした。
どういった人間なのか、読者のみなさんが自分と比較できると、
参考になるかもしれません。
今回は身バレしない程度に紹介しようと思います。
分量が多くなるので3回ぐらいに分けて紹介します。
今回はその1回目です。
中学まで:やりたいことなんてない
とある田舎町に産まれました。
実家の経済状況は真ん中よりやや良いぐらいだったと思います。
田舎ということもあり小中と近所の公立に進みます。
もらえる景品(?)欲しさに進研ゼミに入りましたが、
塾などには行っていませんでした。
小学校のころは勉強しろ、と言われたことはありますが、
中学以降は言われたことがないです。
勉強はなんだかんだ嫌いではなかったです。
将来の夢は特になく、部活に明け暮れていました。
部活自体は大好きでしたが人間関係がいやになって、
中学では意地になってやりきりましたが、
高校では入らないことにしました。
高校時代:研究職になりたいと思う
高校で人生初の受験をし、無事に合格します。
通える範囲で一番の進学校です。
倍率1.1倍を切る公立です。
半数ぐらいは就職するような高校で、
この時のなりたい職業は研究職でした。
研究職=大学に行って専門分野を学ばないと、
ということで大学進学を決めます。
進学先は、やりたい専門分野があること、
国公立であること(経済状況的に)で決めることにしました。
高校では部活に入らず、ヒマを持て余していたので、
なんだかんだ勉強していて成績は良い方でした。
(あくまで、田舎の高校で、ですよ?)
楽をしたい性格だったので推薦がほしかったのですが、
素行がいまいちだったので、もらえませんでした。
諦めて一般入試をすることにしました。
私立という選択肢はなかったので、
国公立限定です。浪人することもできないので、
確実にどこかには受かるように勉強し、
大学を選びました。
前期日程で受ける大学が第一志望(チャレンジではなく合格できる想定)、
後期日程で受ける少しレベルを落とした大学が滑り止めでした。
そして、私的にはそれなりに頑張って勉強し、無事に第一志望に受かりました。
もう受験はしなくてもよいとほっとしたのをよく覚えています(そして、この思いは打ち砕かれる)。
大学はとても通える場所にはなかったので、
一人暮らしをすることになりました。
大学:大学院にいかないと研究職になれないことを知る
大学では人並みに遊び、人並みに単位をとり、
順調に進級しました。
4年で就職するのはいやだなと思ったような…。
というのも大学の4年間ではまともに期待していた専門分野を学べませんでした。
想像していた大学っぽいことができたのは、
研究室に配属されて卒論を書いた1年間だけ。
その時点でようやく私がやりたいと思っていた分野で、
研究職になろうと思うと博士課程まで行くのが必須と知りました。
基礎科学というわれる分野だったので、
企業の研究職なんてポジションはなく、
純粋な研究者(大学か研究所)ぐらいしかなかったのです。
すごく熱中していた趣味の影響をもっと続けたかったので、
しめしめと思って大学院に進学を決意します。
ただ、大学院進学が内部であっても受験が必要と分かって愕然。
やりたいことが具体的だったので、
どうしても落ちたくなく、たぶんこの受験が人生で一番勉強した期間でした。
大学院修士課程:現実の厳しさを知りつつも、自分はなんとかなると思う
無事に内部進学を果たし、
大学4年生の延長上のような生活を送ります。
ただ、授業はほぼないので、ほぼ研究生活です。
1年間に350日ぐらい大学に行ったような気がします。
進学の少しの動機になっていた趣味は欠かしませんでしたが。
大学に行けば行くほど成果が得られるわけではないのですが、
肝心の研究面では1年目、2年目と順調に良い結果が得られました。
研究者になるために必要な成果である学術論文の執筆も始め、
順調な滑り出しでした。
周囲には学位(博士)がとれずに博士課程3年を超えて在籍している先輩や
学位は取ってもポストがなく無給でバイトしながら研究室に籍をおいている先輩は確かにいました。
でも、自分は大丈夫だろうという根拠のない自信があり、
何の疑いもなく博士課程への進学を決めたのでした。
…はい、今回はここまでです。
振り返ってみると、順調で自分ならきっと大丈夫と
勘違いできる要素がたくさんありますね。
次回以降で理想と現実の違いを感じることになります。